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こんにちは。葉月です!

 

アイドルと呼ばれる人はいつの時代にも
いますね~。

 

昭和初期のアイドルに既にアイドルが
存在していました。

 

明日待子さんがその一人です。

 

あのカルピスのポスターにもなったとか。

 

画像を見れはとにかく可愛い方でした。

 

そんな昭和のアイドル明日待子さんについて
調べてみました。

 

 

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プロフィール

 


名前:明日待子(あした まつこ)
本名:須貝とし子(すがい としこ)
生年月日:1920年3月1日
出身地:岩手県釜石市
職業:女優、舞踊家

 

釜石市の鉄工所の役員のもとに生まれて
おり、幼い頃から日本舞踊などの芸事を
学んでいたようです。

 

幼い頃から、将来は東京に出て女優になり
たいと夢があったそう。

 

一世を風靡した劇場ムーランルージュから
の誘いで入団し、舞台で踊りや劇、唄など
を披露し、地方巡業もしていました。

 

13歳のころ、ムーランの主催者の養女
なりました。

 

 

 

昭和のアイドル時代

 

明日待子さんは昭和初期から戦後にかけて
ムーランルージュ新宿座の看板スターでした。

 

ちなみにムーランルージュ新宿座とは、
大衆演劇場で戦前から戦後にかけて存在していました。

 

 

 

 

1951年に閉館しています。

 

当時のムーランルージュ新宿座には、

 

春日八郎水谷八重子三木のり平森繁久彌
千石規子由利徹、他多くのスターが所属して
いたようです。

 

明日待子さんが活躍していたころの客層は、
主に学生だったそうです。

 

新宿は学生の街でなかでも早慶や明治、
立教大生が多かったといいます。

 

今の新宿から考えるとイメージが全く違いますね。

 

人気アイドルはだったため多忙な毎日を過ごして
いたそうです。

 

そこは今も昔も変わらないところですね。

 

朝は稽古、正午に開演、そのあとはポスター撮影。
そして夜の稽古と超過密スケジュールだったよう。

 

 

 

 

戦時中には陸軍も海軍も「アイドル雑誌」
発行し、グラビアにもなっています。

 

戦争で学生が出陣することになり、ムーランルージュ
に来ていた学生が「まっちゃん万歳」と叫んだほど
絶大な人気がありました。

 

一方で、出征前の兵士に、路上で刺されそうになった
こともあったそうです。

 

戦前、戦中、戦後と様々な時代に女優として活躍されて
時代背景もあり今のアイドルとは違った体験も
されてきたのだと改めて感じました。

 

戦後は地方巡業をしながら映画でも活躍したそうです。

 

その4年後には結婚して北海道に移しました。
ちなみに結婚した相手は、当時ムーランに通っていた
早稲田大学の学生だったそうです。

 

ファンと結婚したのですね~。
今の時代では「一般人男性と結婚!」ってスクープ
されるのでしょうね(笑)

それにしてもその時代のトップアイドルが、
結婚を機にあっさりと引退してしまうところ
なんて、山口百恵さんのようだったのでしょうね。

かなり惜しまれていたかと思います。

 

 

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カルピスのモデルにも!

 

「初恋の味」のキャッチコピーで売り始めていた
カルピスの専属モデルになりました。

 

 

↑↑↑さすがにこれは違いますよね(笑)

 

 

デビューは昭和8年、広告モデルとして引っ張り
だこだったそうです。

 

その当時はまだ家庭にテレビなど普及していない
時代ですもんね。

 

広告モデルに可愛い女優を起用することは今も
当時も変わらなかったのですね。

 

テレビが普及していなかった分、実際の生の姿が
見られないので地方巡業など体力的にも大変だった
のではないでしょうか?

 

広告モデルは、カルピスにとどまらず、花王石鹸
キッコーマン醤油ライオン歯磨きなどの
イメージモデルにもなっていたそうです。

 

 

 

 

画像が可愛い!

 

 

 

 

 

 

それぞれ髪型やメイクなど昭和初期を思わせる
写真ですね。

 

可愛いというよりは鼻筋が通った美人だと思います。